小池百合子さんは、なぜ何度も舞台を変えてきたのか

小池百合子さんって、都知事の姿しか思い浮かばないなあ。
前はテレビに出ていたんだよね?

そうなんです。
小池百合子さんは、カイロへの留学、アラビア語の通訳、テレビキャスター、国会議員を経て、東京都知事になりました。
小池百合子さんの長い歩みは、ひとつの肩書きだけではおさまりません。
いまは東京都知事として3期目。
2024年の都知事選では291万8,015票を得て、三度目の当選を果たしました。[1]
要約図解|小池百合子さんを知る3つの場面

まずはカイロへ 日本の外に出た若い日
小池さんは1952年、兵庫県で生まれました。[2]
大学に入ってから関西学院大学を中退し、エジプトのカイロ大学へ留学します。
本人のサイトには、アラビア語を学ぶ人が日本ではまだ少なく、アラブ世界のこれからに可能性を感じた、とあります。[3]
慣れた場所に残るのではなく、遠いカイロで学ぶ道を選んだわけです。
1976年にカイロ大学文学部社会学科を卒業。
その後はアラビア語の通訳や講師として働きました。[2][3]

都知事になるずっと前に、海外で言葉を身につけていたんだね。

はい。
小池さんの話には、海外の人と直接やり取りしてきた時代が最初からあります。
後のキャスターや外交に近い仕事にも、カイロでの経験がつながっていきます。
通訳からテレビへ 画面の向こうに言葉を届ける
通訳の仕事をしていた小池さんは、海外の要人へのインタビューや会見のコーディネートにも関わりました。[3]
1979年からは日本テレビの番組でアシスタントキャスターを務め、1988年にはテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」の初代キャスターになります。[3]
ニュースを伝える側に立った経験は、政治家になってからの話し方にも重なって見えます。
難しいテーマでも、短い言葉にして広く伝える。
その姿を思い出す人が多いのが、環境相時代の「クールビズ」です。
「クールビズ」は、暮らしの言葉になった
2005年、小池さんは環境大臣として「クールビズ」を提唱しました。[2][4]
冷房を強くしてネクタイを締める働き方を見直そう、という環境の話を、服装という身近な形に置き換えたものでした。
環境省の記録には、小池さんが「新しい私たちのライフスタイルそのもの」を探す取組だと話した様子が残っています。[4]

たしかに「クールビズ」は、いまでは誰でも使う言葉だね。

環境政策の名前が、会社の夏の服装の話まで広がったんです。
小池さんは後に都知事になってからも、「言葉をどう広げるか」を大事にしているように見えます。
図解|カイロ・テレビ・国政から東京都へ

40歳で国政へ 国会議員から大臣を経験
小池さんが初めて国政選挙に出たのは40歳のときでした。
1992年、日本新党から参議院議員選挙に立候補して初当選。
翌1993年には衆議院議員になりました。[2][3]
その後、環境大臣、沖縄・北方対策担当大臣、内閣総理大臣補佐官、防衛大臣などを務めます。[2]
国会議員として働いた年月は20年以上です。
テレビのスタジオで社会の出来事を伝えていた人が、今度は法律や予算を決める側に入った。
その距離の大きさが、小池さんの経歴を独特なものにしています。
2016年、東京都知事選へ 「一人」から始まった出馬
2016年、小池さんは東京都知事選へ立候補します。
当時の小池さんは、都政の情報公開や東京2020大会の予算をめぐる問題を前に出し、「東京大改革」を掲げました。[3][5]
当選後の最初の記者会見では、都政改革本部を置き、情報公開と大会関連の調査チームをつくる方針を示しています。[5]
初登庁の朝、小池さんのもとにはメールや交流サイトを通じて多くの声が届いたそうです。
会見では、その中でいちばん多かったのは「都政の改革に頑張れ」という言葉だったと振り返りました。[5]
都知事の仕事は、都庁の中だけで完結しません。
都議会と予算を決め、区市町村と動き、災害や交通、福祉、教育まで、東京で暮らす人の生活に関わります。
小池さんは就任初日に、都議会とは「車の両輪」と話しました。[5]
選挙でぶつかった相手とも、知事になれば東京の仕事を一緒に進める。
その役目の大きさが、都庁の玄関に立った瞬間から始まったわけです。
この日の会見では、選挙中に身に着けていた「百合子グリーン」の話も出ました。
小池さんは、緑は環境を意識した自分の色で、選挙中は「戦闘服」だったと説明しています。
初登庁の日に青い服を選んだのは、これからは「ブルーオーシャン」の気持ちで都政に向き合うためだ、と語りました。[5]
政策や選挙の言葉だけでなく、色や服装にも自分の考えを重ねる。
テレビの世界にいた頃から続く、伝え方へのこだわりがのぞく場面です。
小池さんはこの会見で、選挙中に「劇団ひとり」と言われたことにも触れました。
それでも、都知事選で291万人余の票を得たと話しています。[5]
最初の当選から、2020年、そして2024年と再選。
東京都の公式プロフィールでも、現在は3期目の知事とされています。[2]
東京を預かる10年 いま小池さんが前に出していること
知事就任後には、新型コロナウイルスへの対応、1年延期・無観客となった東京2020大会、子育て支援、防災、都市づくりなど、東京の大きな出来事が重なりました。[2]
2026年度の施政方針では、子育て・教育、女性の働きやすさ、防災、暑さへの対策、環境、地域交通などが並んでいます。[6]
10月2日の会見では、国際的な技術イベント、若者向けの交流事業、ツキノワグマ対策、多摩都市モノレール、防災船の運航について説明しました。[7]

都知事の仕事って、都心の話だけじゃないんだね。
山のクマから島の船まである。

そうなんです。
東京都は23区だけではありません。
多摩や島しょ部も含めて、暮らしの近くにある話を一つずつ抱える仕事なんですね。
振り返り図解|小池百合子さんの歩みをひとことで

まとめ|小池百合子さんは「言葉」と「舞台」を変えてきた人
小池百合子さんは、カイロで学び、通訳とテレビの仕事をし、40歳で国政へ入り、東京都知事になりました。
- カイロ留学とアラビア語の仕事から、海外とつながる出発点をつくりました。[2][3]
- テレビキャスター、環境相、国会議員を経て、2016年に東京都知事へ当選しました。[2][3]
- 2024年の選挙で三度目の当選を果たし、現在は東京都知事3期目です。[1][2]

カイロからテレビ、国会、そして都庁か。
こうして並べると、ずいぶん長い道のりだね。

はい。
小池さんの今の姿だけを見ると、都知事という大きな肩書きが先に立ちます。
でも、その前には、遠い国で学び、言葉を伝え、国の仕事をしてきた時間があるんです。
あわせて読みたい
参考文献
[1] 東京都選挙管理委員会「東京都知事選挙(令和6年7月7日執行)開票結果」
[4] 環境省「愛・地球博会場で『クールビズコレクション』を開催」
[5] 東京都「小池知事『知事の部屋』/記者会見(平成28年8月2日)」




コメント