2021年5月20日 参議院 法務委員会 少年法改正案 反対討論
質問内容
・憲法の人権保障と少年法改正問題について
議事録
第204回国会 参議院 法務委員会 第15号 令和3年5月20日
○高良鉄美君 沖縄の風の高良鉄美です。
一昨日、政府が入管法改正案の廃案を決定されたことを歓迎しております。これは、やはり支援をする団体はもちろん、多くの個人の力、さらには、この入管法自体の、改正案自体の問題点というのが非常にあって、批判が多かったと、こういうことも大きな要素だったと私は思っています。今回、この立法事実がない少年法の改正というものも同様に廃案にすべきだと申し上げて、質問に入りたいと思います。
推知報道禁止の一部解除と憲法について、法務大臣に伺います。
推知報道禁止の一部解除が結果として対象者の立ち直りを阻害することが明らかとなった場合、推知報道は禁止するということでよいかという質問に対し、上川大臣は、御指摘の推知報道に関するものも含めて、仮に施行後に何らかの問題等が生じた場合においては附則第八条による検討の対象となり得ると答弁されました。
今回の法改正で最も懸念されるのは推知報道禁止の一部解除ですが、問題が生じた場合にどのように対応されるのか、再度お伺いしたいと思います。
○国務大臣(上川陽子君) 委員御指摘のとおりでございます。本法律案の附則第八条におきましては、十八歳及び十九歳の者に係る事件の手続、処分に関する制度の在り方に関しまして、蓄積された運用実績、また社会情勢や国民の意識の動向を踏まえて検討を行うこととしているところでございます。
今、私が過去答弁をしたことに触れていただきましたけれども、御指摘いただきましたこの推知報道に関するものも含めまして、仮に施行後に何らかの問題等が生じた場合につきましては、この附則第八条によりましての検討の対象となるものというふうに考えております。
○高良鉄美君 この五年というのが一つの見直しの期限といいますか期間ですけれども、五年と言わず、問題が生じたと、あるいは生じることがもう明らかになったという場合には、やはり全体の、今お答えいただいたような部分を含めて、見直しの検討をお願いしたいと思います。
一昨日の委員会で時間が足りずに大臣に御答弁をいただけなかったので、再度お伺いしたいと思います。
報道の自由の意味は、対国家としての国民の権利、つまり、精神的自由権を、内面で考えたことを外に表すというこの表現の自由であって、国家権力によって制約を受けないということが基本になっておるわけです。報道の自由の重要性は国民の知る権利に寄与するもので、ひいては政治的権利を含む国民主権に関わるというところにあります。
経済的自由は経済政策が大きく関わるので、国家による政策内容などが経済活動を制約する領域、範囲が大きい、つまり、同じ対国家の権利ではあっても政策的な制約が許される枠が広いということです。
一方、この精神的自由権としての報道の自由が制約される原理は、国家権力が制約していいというものではなく、報道の自由によって他者の人権が侵害されるかもしれない場面では制約をされるという内容です。
少年法が推知報道を禁止しているのは、国家権力によって報道機関の推知報道を禁止しているのではなくて、可塑性のある少年の人権、健全育成に関する問題として、つまり人権と人権の衝突の問題であって、報道の自由が制約されることになってくるわけです。報道の自由は、ほかの人権との関係で制約を受ける、したがって、譲らなければいけないという場面も出てくるということで、精神的自由の制約原理の考え方はそういったものになるわけです。推知報道の禁止は少年の人権、健全育成の面から受ける制約であって、国家権力が制裁で行う刑罰とは別のフェーズ、局面の問題であって、刑罰的、制裁的視点から推知報道の解禁を捉える論理であってはなりません。
川原刑事局長は、十八歳、十九歳の少年に対する推知報道が一部解除されたことについて報道機関がどのように取り組むかというのは、憲法の報道の自由との関係もあり、報道機関の判断に委ねるというのは政府の立場であると答弁されています。少年法の基本理念にのっとれば、報道機関に推知報道の禁止を解禁するかどうかを委ねてよいのか、憲法の目的である人権保障原理及び少年法の理念からその部分だけが大きく外れるんじゃないかと考えますが、上川大臣に改めて御認識をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(上川陽子君) 少年法でございますが、あくまで、罪を犯し、刑事法令に触れ、あるいはそのおそれのある非行少年に対しまして、この刑事司法制度の中でその健全育成を図るものでございます。
少年法の在り方を検討するに当たりましては、少年の保護、教育の観点、また、それだけではなく、刑事司法制度の在り方として一般予防などの犯罪対策あるいは刑事司法制度に対する国民の理解、信頼の観点をも考慮することが不可欠となるところでございます。
刑事事件の報道でございますが、推知報道も含めまして、表現の自由、報道の自由として憲法上保障されるところでございます。また、少年法第六十一条におきましては、少年の更生に資する趣旨で例外的にこれらの自由を直接制約をしているところでございますが、十八歳以上の少年につきまして一律に推知報道を禁止するのは、責任ある主体としての立場等に照らしまして適当ではないと考えられるところでございます。
そこで、本法律案におきまして、少年の更生と報道の自由等との調整の観点から、十八歳以上の少年につきましては、一般的に推知報道を禁止した上で、公開の法廷で刑事事件を追及される立場となる公判請求の時点からは、二十歳以上の者と同様の取扱いとして、禁止を解除するのが適当であると考えたものでございます。
したがいまして、十八歳以上の少年につきまして、推知報道を一部解禁して報道するかしないかを報道機関の判断に委ねることが、憲法におきましての人権保障、また少年法の理念に反するものではないというふうに考えております。
○高良鉄美君 これからまた述べますけれども、やはりこの少年事件の問題、家庭裁判所というものができた経緯、そういったことを考えますと、元々憲法で言っている刑事被告人の権利の問題、あるいは刑事司法政策の問題として今お話がありましたけれども、少年事件の問題というのは、刑事司法の問題だけではなくて、むしろ教育、福祉の問題だということをこれから述べていきたいと思います。ありがとうございます。
家庭裁判所の役割と最高裁の姿勢について伺います。
手嶋家庭局長は、基本的に立法政策であるから意見を述べる立場にはないという趣旨の答弁をされました。少年法の改正に危機感を持って今日も声を上げているというのは、少年の立ち直りに何が必要かということを最も理解する家裁の元裁判官や調査官、事件を犯した少年の付添人や弁護人を経験してきた現場で頑張っている人たちです。再度お伺いしますけれども、これらの人々が反対されている理由は何だと思われますか、端的にお答えください。
○最高裁判所長官代理者(手嶋あさみ君) 委員御指摘の理由ということについてはお答えができかねるところでございますが、本法律案は、十八歳及び十九歳の者について、これを少年法の適用対象とし、全件家裁送致を維持するなど、現行少年法の枠組みをおおむね踏襲する内容のものとなっておりまして、裁判実務の運用上大きな支障を生じることはないものと承知しておりますし、前提として、現行の少年法の下における家庭裁判所の調査、審判による保護処分について、少年の再非行防止と立ち直りに有効に機能しているとの御指摘もいただいてきているところと受け止めているところでございます。
いずれにしましても、本法律案が成立をした際には、国会での御審議や法制審議会での御議論に加え、少年の健全な育成を期するという少年法の理念を引き続き十分に踏まえ、少年の再非行防止と立ち直りに向けて一層の適切な運用に努めてまいる所存でございます。
○高良鉄美君 家庭裁判所の成り立ち、一九四九年一月一日、家庭裁判所ができると同時に、最高裁に、事務総局に家庭局が発足しました。初代の家庭局長はどなたか御存じだと思います。家庭裁判所創設に奔走した宇田川潤四郎氏です。
宇田川氏が家庭裁判所の方針として挙げた五つの性格を御存じでしたらお答えください。
○最高裁判所長官代理者(手嶋あさみ君) お答え申し上げます。
委員御指摘の家庭裁判所の方針として掲げられた五つの性格、これは、御指摘のとおり、家庭裁判所が創設されました昭和二十四年一月に、当時の家庭局長であった宇田川潤四郎が述べたものと、それを指していらっしゃるものということを前提としまして、それによりますと、一つ目が独立的性格、二つ目が民主的性格、そして三番目に科学的性格、四番目に教育的性格、五番目に社会的性格、この五つが挙げられているものと承知しております。これらの中でも、教育的性格という部分につきましては、特に少年審判において顕著とされているというふうに承知しております。
○高良鉄美君 まさに、この五つの性格、これが家庭裁判所の向かうべき道と、あるいは姿というものを理念にしたものというふうに言われています。
家裁は、戦後、憲法の理念に基づいた、あるいはのっとった形でできた新しい裁判所なんですよ。これまでの裁判所とは違う独立性を持って、地裁とは別にやりましょうということが独立性なんですね。
そして、民主的性格というのは、これは本当に国民に寄り添う、そして国民のための裁判所であるという考えから来ています。
科学的性格というのは、これは精神的な、心療内科とかそういった形、あるいは心理学のそういった力を借りて少年事件を解決していきましょう、家庭の事件を解決していきましょうということですね。
局長言われたように、教育的性格というのは非常に大きな問題ですね、大きな要素だと思います。これ憲法二十六条の問題です。教育を受ける権利、教育にアクセスする権利の問題です。そこが要素として入っているということ。
そして、社会的性格というと、これは家裁が幾ら頑張っても、それだけでは少年の健全育成あるいは更生には十分ではないということがあります。それは、やはりそのほかの養護施設あるいは児童相談所、そういった社会全体のいろんな制度の中で進めていかなければならないと。それは、児童福祉の問題、憲法二十五条の福祉の問題なんですよ。この二十五、二十六というのがこの新しい裁判所の中に入ってきているということで、対応を考えていただきたいと思います、常に持っておられると思いますけれども。是非そこでしっかりとベースをつくっていただきたいと思います。
九〇年代に少年による重大事件が相次いだことを背景に、二〇〇〇年代になって、少年法は四回にわたって大きな見直しが行われました。事件が起きるたびに、少年を甘やかすな、厳罰化をという意見が相次ぎ、それに異を唱えにくい状況もあったと思います。
今回の改正の審議に当たり、改めて清永聡さんの「家庭裁判所物語」を読ませていただきました。その最後に、二〇一三年に最高裁家庭局長に就任して、その翌年に五十五歳で亡くなられた岡健太郎さんの言葉が紹介されていました。
少年審判を行う現場は、多少法律が改正されても、少年の立ち直りと健全な育成を忘れてはいない、もしも教育的機能が少年審判から全て失われたならば、家庭裁判所が存在する意味はない、家庭裁判所の人々は打たれ強くしたたかだと断言したとあります。世論が厳しくても、審判に検察官が立ち会おうとも、幹部が理念を否定し迅速化を求めようとしても、目の前に非行を繰り返す少年がいればできる限り力を尽くそうと思うのは当然であると、守るべきヒューマニズムが根底に流れている以上、教育や福祉の役割が失われることは決してないと強調されています。家庭裁判所、家庭調査官の役割はますます重要になろうと思います。
今回の法改正は、この少年法の理念に反するものと私は言わざるを得ないと思っています。政府、最高裁は、今後の反対の声を十分に耳を傾けて、将来の見直しについて考慮していただきたいと思います。やはり、その根本にある裁判所というものが、戦前の、あるいは裁判所、現在でも、なるべくだったら裁判所に関わりたくないという国民が多いんですけれども、裁判所がやっぱり国民とともに歩む裁判所になる、民主的な裁判所になるということは当然のことだと思いますし、こういう努力をされていると思います。そういった面で、多くの反対の声というのも、今日もう現実に上がっているわけですね、法改正について。この将来を見詰めて考慮していただきたいというのは、もう本当に切にそう思っております。
そういうことを申し上げて、質問を終わりたいと思います。