国会質疑 Interpellation

2022年4月6日 参議院 国際経済・外交に関する調査会

質問内容

・海上保安庁の巡視船について

・南北センター構想について

議事録

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第208回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第4号 令和4年4月6日

○高良鉄美君 沖縄の風の高良鉄美でございます。
 沖縄のお話が何度か出てきておりますけれども、その沖縄の問題で、まあ小さな島ではあるんですが、海域が非常に広いということですね。そして、日本のこの東南アジア地域との昔からの交流というのがありましたが、沖縄の大交易時代というのがありまして、やっぱり、シンガポール、もっと先まで品物を持っていくと。そして、その東南アジアだけじゃなくて、やっぱり中国との関係が非常に深いということがあって、今もその中国の技術を、十四世紀ぐらいですかね、十五世紀くらいに、船の造る大工ですね、そういうものをやった方々がもうずっと住んでいて、今、沖縄の名前と中国の名前を持っているという人たちが随分います。
 そして、それだけじゃなくて、やはり朝鮮半島の方々との交流もあるので、やっぱりそこを一つ念頭に入れてこれから御質問したいんですけれども、沖縄のこの地域の広さというんですかね、これは、先ほど北岡先生が幾つか挙げている、この島々への海上保安庁の巡視船の提供というのがありました。そういった中に、フィリピンとかベトナム、インドネシアというのがありましたが、大体沖縄と交易があっていて、そして、フィリピンの実はマニラというのは東京と同じ距離なんです、沖縄からいうと。そして、ベトナムというのは札幌と同じ距離なんですよ。
 だから、そういう意味でいうと、沖縄の十一管区、海上保安庁、管区ありますけれども、その辺りとこの連携というんですかね、支援をしている巡視船の、この辺りの構想みたいなのは、何か先生、ございますでしょうか。
○参考人(北岡伸一君) ちょっと直接のお答えにはならないんですが、沖縄はやっぱり島ということで、沖縄の知恵というのは我々の太平洋島嶼国支援に随分役立たせていただいています。
 例えば、水です。いろんな島で、水をどうやって、きれいな水を得るかというのに、沖縄の伝統的な手法を開発したものを幾つかフィジーとかサモアでやっておりまして、ちょっと山を登ったところに小さな仕掛けを作ってそこから水を持ってくるというのは、大規模なものなしでやっております。これを信州大学の先生が開発されて、その技術でやっております。
 それからまた、沖縄で我々大変お世話になっていますのは、移民が多いんですね、沖縄にはね。移民の方が大変多くて、中南米にいろんなところにおられますけれども、それで、沖縄では世界の沖縄の人を集めて大会をやっておられます。これなんかも、日本の本土だけではなくて、日本人が持っている、元来持っていたはずの開放性、進出性等の模範のようなものを持っておられるような気がして、御指摘の、先生御指摘の時代というのは、要するに東アジアでは日本も清国も鎖国だったんですよね。その頃はやっぱり琉球が大活躍した時代があって、琉球はその清国の朝貢国として非常に重視されたと、もちろん同時に薩摩藩の支配下にあったわけですけれども。いろんなことで沖縄の知恵には我々大変いつもお世話になっているという印象を持っております。
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 今、太平洋の島嶼国の話とか移民の話がありましたけれども、実は、パラオ、サイパンですね、グアムとかのこの地域が実は日系ということで、多くの日系住民、戦争時代も、以前も、戦前からですね、ありましたけど、多分、半数以上、五割から七割ぐらい沖縄系の人なんですね。
 だから、やっぱりそういう島嶼系の住民、あるいは、今先生がお話しなさった、北岡先生のですね、島嶼の暮らしというんでしょうかね、そこを含めて島嶼支援をするという一つの材料がありましたけれども、この島嶼支援のやり方みたいなときには、この沖縄の地域の暮らしとか文化とか、そういうのを参考になさっているという部分が今おありというふうにお聞きしましたけれども、ちょっとそれをまた変えまして、先生のこの、ちょっと関連は全くないわけじゃないですけれども、私が非常にすばらしいんじゃないかなと思ったのは、この開発大学院のネットワークとかいろんな形ですね。
 私も、やっぱり日本の開発の、開発学という名前はあるかどうかあれなんですが、これがすばらしいと思っていて、それを何か沖縄にこのネットワークを置くような構想が実は二十年ぐらい前から、日本の各大学の学長とか、もう引退されている方ですけれども、ありまして、外務省中心にやった方がいいんじゃないかというような話までこの構想の中ではできていたんですが、先ほど先生のお話しした国際協力大学院のお話もありましたけれども、それ、南北センターというような構想らしくて、そういうものとの関係で何か示唆するものがありましたら、お願いいたします。
○参考人(北岡伸一君) 今のところ、その沖縄につくるということを具体的に考えているわけではございませんで、むしろ念頭にあるのは東京あるいは辺りなんですけれども。
 御質問に便乗しまして幾つか付け加えさせていただきますと、日本と今非常に関係が深いのは、例えばフィリピンですよね。フィリピンは、御案内のとおり、大相撲でもゴルフでもフィリピンの方との関係が非常に深くなっていて、それはまた協力隊も一枚かんでいて、さっき言いました島嶼国だと、やっぱりラグビーですよね、これは非常に関係が深いと。やっぱりそうした人間同士の信頼できる関係というのが一番いいんじゃないかと思います。
 二〇一六年のことでございますが、我々も危ない目に遭った、南スーダンで紛争がございました。そのときにJICA関係者は七、八十人が危ない目に遭ったんですね、集結して。そのときに政府は、もう日本人は一斉に退去してくださいと言われたんですよね。そして、そうしたら、我々の関連の業者の方が、我々はフィリピン人労働者と一緒にやっているから我々は退去しないと言われたんですね。偉いなと思いました。
 そういうふうに、我々はもう本当にフィリピンその他東南アジアの方々の労働力なしには仕事できなくなっているんです。で、それは一定程度向こうにも評価されているんですね。例えば、アフリカに何か支援をしますと、中国は労働者を連れていって、そこに定着してしまいます。日本人は、人件費が高いものですから、少数行って、向こうの人に教えるんです。技術移転する、あるいはフィリピンなんかはそういう人を連れていくと。その結果、事業ができるだけじゃなくて技術が移転するものですから、大変評価されているということがございます。
 こういうわけで、私は、日本の漁業とか海運業とかというのはそうした外国人の方なしにもう成り立たないようになっておりまして、ということが申し上げたい次第です。
 我々は、日系のかつての移民の方々を大事にしたいと思っているんですね。海外へ行って大変苦労された。移民じゃないけど、猪木先生もブラジルでお過ごしだったわけだけれども。そういうところで、今滅びつつあるのは新聞なんですよね、邦字紙。日本語の新聞がなくなりつつあって、まあ電子化で残っていますけれども、我々はそれちょっと支援しているんです。
 それからまた、病院で成功された方が多いんですね、中南米は。このコロナ禍でブラジルの病院なんかは大変なんですよね、これを支援している。こういう中にも実は沖縄の方は多いんです、割合ね。
 ですから、いろんなところで実にお世話になっていると思っていまして、JICAの移民資料館というのが横浜にあるんですけれども、もう一つ沖縄にも造ろうかなという計画を進めている次第でございます。
○高良鉄美君 大分時間がなくなりましたので、寺島参考人の方ですね、一点だけ、コメントみたいに。
 沿岸の地域の、この沿岸地域を、海を生かした町づくり、非常にキャッチフレーズだけじゃなくてこれ意味が深いと思いまして、やっぱり日本は海洋国でありますし、これだけ多くの沿岸地域に町もありますから、これから復活させるためにも、こういう発想をいろいろやっていくのとても大事だなと感じました。
 ありがとうございました。