2021年5月6日 参議院 法務委員会 少年法参考人質疑
質問内容
・18歳の壁問題について
・子どもの権利擁護について
議事録
第204回国会 参議院 法務委員会 第11号 令和3年5月6日
○高良鉄美君 沖縄の風の高良鉄美でございます。
今日は貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。改めて感謝を申し上げます。
まず、三人の参考人の方々にお伺いします。
今回、少年法改正というのは成年年齢の引下げによって見直しを行うというものですけれども、沖縄の風は、実は二〇一八年の成年年齢の引下げにも反対したんですが、女性の婚姻適齢の引上げには賛成はしたんです。しかし、成年年齢を引き下げるのに、若年層、若年者の自立を促すような施策とか、あるいは消費者被害の拡大のおそれ等の問題の解決のための施策というのが十分取られていませんでした。例えば、消費者契約法に、知識とか経験あるいは判断力不足に付け込んで締結された契約、こういったものの取消し権の創設というのには最低限必要でしたけれども、それは行われませんでした。若年者が消費者被害に遭わないようにするための実践的な教育、消費者教育の充実というのが必要不可欠だったにもかかわらず、こういった懸念は払拭されませんでした。
また、この成年年齢の引下げによって、養育費の支払終期というのが早まるんじゃないかと。それだけじゃなくて、大学の学費ですね、養育費としての大学の学費に分担が行かないんじゃないかというような懸念も払拭されていません。ですから、成年年齢の引下げにも、少年法の見直しにも、大変憂慮をしているところでございます。
厚生労働省が四月三十日にまとめた社会的養護経験者の調査結果では、高校を卒業すると、経済的自立がなくても養護施設からは出ていかなければならないという十八歳の壁があるということが分かりました。十八歳は大人だから大人として同じ責任を負うべきだという考えがある一方で、今回もまさにそういう部分が焦点だと思いますけれども、一方では、この少年たちは未熟で教育や保護が必要という現場の声があります。
少年法の理念を考えると、成年年齢に合わせた法改正をする必要があるのか、それを憂慮しているわけですけれども、このような声をどういうふうに受け止められるでしょうか、お三方にお伺いします。もうそれぞれの立場で結構ですので、よろしくお願いしたいと思います。
○委員長(山本香苗君) それでは、橋爪参考人からお願いします。
○参考人(橋爪隆君) お答え申し上げます。
十八歳、十九歳の存在と申しますと、二面性があると思うんですね。つまり、民法の改正に従いまして、親権者の保護を離れて自律的な主体であるという評価の反面、今御指摘がございましたように、なおまだ精神的にも未熟であって支援が必要であるという観点がございます。そういった意味では、少年法につきましても、このような二つの観点を共に満たす形で改正が必要であるというふうに考えております。
すなわち、保護処分自体は存置した上で、なお要保護性に従った処遇ができるというふうな仕組みは維持した上で、しかしながら、本人にメリットがあれば何をしてもいいわけではありませんから、そういった意味では責任という概念を導入した上で責任を上限とした形で保護をするということは十分にあり得ますし、そういった観点から、二つの要請を共に満たす形で今回の改正が行われているというふうに考えてございます。
○参考人(川村百合君) 私も、先ほど申し上げましたが、民法成年年齢の引下げということは反対の立場でした。そして、民法成年年齢引下げを答申した法制審も、無条件に引き下げるべきと答申したわけではなくて、自立を促す施策とか消費者被害を防ぐための施策を講じた上で、その後で、社会の中で十八歳が大人だというコンセンサスが得られたら引き下げろと言っていたのに、その施策が全く不十分な状態で、また社会の中のコンセンサスとして十八歳が大人だよというふうにも必ずしもなっていない中で引下げが決まってしまったということで、問題だと思っています。
そして、先ほど非行少年の、能力が低い子が多いということを申し上げたんですけれども、そういう意味では、その非行少年になるような少年たちというのは、民法の成年年齢が引き下げられて経済行為も自分の責任でやるということになったために、でも難しいことは判断できないので消費者被害に遭うということが頻発するだろうということを恐れています。そして、自分が消費者被害に遭って金銭的な損害を被ってしまった、それを取り返そうと、というか、生きていくためにお金がなくてしようがないので犯罪に至らざるを得ないというような連鎖になりかねないということで、その民法成年年齢引下げと非行ということが無縁ではないのではないかというふうに思います。
大人と同じ責任というような言い方が先ほど来されているんですけれども、先ほど私は非行少年ってどんな少年だということを御紹介しましたが、資質上のハンディがあるというのは本人の責任ではないことです。また、生育歴上過酷な生育環境にあった、虐待を受けてきたというようなことも、本人の責任ではないことによって、人格が未熟であったり、また人格的な発達がちょっとゆがんでしまったりということで非行に至るということは、それは本人の責任として本人に責任を負わせるべきことではないというふうに私は考えております。
ですから、民法上経済行為について責任を負うということになったからといって、非行少年としての責任の負い方というのが変わらなければいけないということではないというふうに考えています。
○参考人(大山一誠君) その十八歳と十九歳のことについて、自分もちょっとすごく難しいな、難しい問題だなと思うんですけど。さっき消費者金融の話とかも契約できるとかそういうのもあるし、この自立ができない、成人としては扱われますけど、民法上。自立できないわけじゃないですか、実際、多くの人はもう学生、高校生か大学生で。
それで、よく凶悪事件のような話がこういうことが起きるたびにあるんですけど、自分は本当に同じ部屋で、これはちょっと名前も伏せてあれですけど、やっぱり相手を死なせてしまったという、不正会話になって懲罰の対象になるので本当はやってはいけないんですけど、話したときがありました。そのときに、どうしたかと、もう家どうなっているのというのを聞いたら、両親、世間一般の人がみんな知っている会社だと、両親が勤めている会社は。それで、早期退職して退職金もらって、それで被害者に充てたと。それで、それでも足りなくて持家も売ったと。今、弟と両親、昼夜働いているという話をしていました。僕が一緒にいた部屋ですけどね、もうこれ地獄みてえな話だなと思って自分はそのとき聞いていたんですけど。
やっぱりそういう、例えば被害者の、謝罪というのは、もちろん謝るのもそうなんですけど、最終的に例えば相手が亡くなってしまったり、著しく障害が残ってしまった場合とかですよね、のときに、あと、例えば詐欺とかで金品取ってしまった場合とか何か、お金で謝るしかない部分ってあると思うんですよ、それが大人の責任だとは思うので。それを考えたときに、自立していない、自立すらできていないのにそれを果たしてできるのかという、この保護者がいないということは逆に弊害が出てくるのではないかなというのは私は思っていて、なので、民法の、この少年法、引下げ、一番最初の頃なんですけど、新聞記事とかを見ると成人年齢とこの民法、少年法を一致させた方がいいという、そういう理由なんですよ。僕からしたら、この例えば少年院、再犯率とかも刑務所より低いし、十年連続でもう下がっていて減少しているんで、理由の体を成していないなというのははっきり言って正直思いました、この十八歳に合わせるというときは。
なので、ちょっと十八歳、十九歳の取扱いについてはもうちょい議論を進めていただきたいなと思っているのがありますし、国民の理解が得られないという御意見もあると思います。でも、そのときになると、やっぱりどうしても、昔の神戸の事件もあるし、それを全部一律で話してしまうので、話が元に戻ってしまうんですね。なので、僕が思うには、やっぱり、そこをそうじゃないんだよと。国民が理解してくれないから、じゃ、国民の言うとおりにしようじゃなくて、それを説明してくれるのが国会議員の仕事だと思っています。
よろしいでしょうか、そんな感じで、十八歳、十九歳については。
○高良鉄美君 ありがとうございました。
現場からの声とか体験の声というのは非常に重いなと思いました。
川村参考人にまたお伺いしますけれども、川村参考人は子供の権利擁護の活動にもすごく携わっているということで、事件を犯してしまった少年の付添人とか弁護人もされているということですので、ちょっとその辺りの現場のこともよく御存じのことなので、幾つかお伺いしたいと思います。
まず、少年院教育によって少年は本当に反省し、更生するのでしょうか。先ほどもありましたけれども、川村参考人の方にお伺いします。
○参考人(川村百合君) 一〇〇%全員が再非行しないで済んでいるかというとそういうわけではないので、そういう意味で完璧な制度かというと、まあ人間がつくる制度に完璧はないので、完璧ではないかもしれませんが、やはり刑務所との比較ということでいうと、少年院の教育の中で、少年は本当に反省し、再非行に陥らないように頑張っているという、そういう効果的な教育がされているというふうに思います。
実際、少年院で少年に会ったり、あるいは少年院から出てきた少年に会って、本当に幼い、凶悪な事件を犯したと言われていても、実際にはとっても幼い、かわいらしい男の子、女の子で、とても素直になってきて、そして、先ほど申し上げた、自分が受け入れられるということを知る、自分が受容される、そして、鑑別所の心身鑑別の段階では、大体判で押したように自己肯定感が低い、自尊感情が低いという判定がされるんですね。自分のことを大切に思えないということですが、自分のことを大切に思えない人は人のことも大切に思えないということになって非行をしてしまうということになるんですが、少年院で受容されるという経験の中で、あっ、自分は大切にされている、自分は生きていっていいんだということが分かるにつれて反省の気持ちも深まり、贖罪の気持ちも深まっていくということだと思います。
ただ、やっぱり社会に出ると、社会の現実というのはとても厳しくて、そういう、よし、頑張るぞと思って出てきた後にも、仕事がなかなか見付からないとか、仕事を変わらざるを得ない、仕事がうまくいかなくて、失敗しちゃって変わらざるを得ないとかですね。それから、そもそも住む場所がなかなか見付からないという少年が、少年院から出てくる、まあ出てこれない、なかなか少年院から仮退院が決まらないという少年がいるんですけれども、それは、なかなか帰住先が決まらないという少年が少なからずいるんですね。
物理的な居場所というものと、それと、人間の精神的なつながりの中での信頼関係ということでの居場所というものが確保されないと、社会の中で居場所がなく、物理的な居場所もまた精神的な居場所もなく孤立して生きていくということはやはり現実難しいので、そういう中で、孤立してしまって、仕事もうまくいかなくてという中で再非行に至ってしまう少年もそれはいますが、それはやっぱり、その受入先をどれだけ私たちの社会がいわゆる社会資源として用意できるかということに懸かっているというふうに思います。
○高良鉄美君 ありがとうございます。
もう時間ですので終わりますけれども、非常に、体験上の問題と、それから再非行が少ないということもよく分かりました。ありがとうございました。