国会質疑 Interpellation

2020年6月2日 参議院 法務委員会 自動車運転処罰法改正案質疑(参考人質疑)

質問内容

・自動車運転処罰法改正について

議事録

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第201回国会 参議院 法務委員会 第10号 令和2年6月2日

○高良鉄美君 沖縄の風の高良鉄美です。よろしくお願いします。
 今日は、本当に貴重な御意見等々を参考にしたいと思います。ありがとうございます。
 まず、今井参考人の方にお伺いしたいんですけれども、この法案の、あおり運転関連ということで危険運転ということですが、海外ではあおりというような言葉がないというようなことをおっしゃっていたんですけれども、その海外の法律ではちょっとどんなふうな形でやっているのかというのは、国によっていろいろ違うんでしょうけれども、その辺りの比較刑法というか、そういう辺りでどういうふうな捉え方になっているんでしょうかということで、今回のこの改正について、学会の中での意見とか見解というのをちょっと教えていただけたらと思います。
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。
 海外では特にあおり運転という名称ではございませんで、まず、攻撃的運転、アグレッシブドライビングというのをいいます。そして、それをした後に道路上でトラブルが起こる、ファイトが起こると、道路上での憤激といっていますが、ロードレージといって、そこで車道に行ってパンチを加えるようなことが想定されていますが、そこが、最近ではそのアグレッシブドライビングとロードレージをくっつけて日本でいうようなあおり運転にもなっているようでございます。
 先ほどの他の先生方の質問にもお答えしましたが、例えばイギリスでは、従前二つに分けていたのですが、これが高速運転等に伴って生じた場合には、イギリスの道路交通法に所定の危険運転致死罪が成立するという裁判例が出ていますので、その部分では同じになっていますが、繰り返しますが、その攻撃的な運転や道路上の憤激をするということに着目されていて、それは心理学的な側面が重要視されているからだと思います。
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 やはりそういった面では心理的な要素も海外では取られることもあるということですね、まあ日本でもそういうことなんでしょうけれども。
 今回、二条四号の解釈の問題で、五、六の追加というのが、追加というか具体的事件に当てはめる場合にはどうなのかというのが議論になると思うんですけれども、これまでのこの停止という問題、その直前に停止をするというのは、実は今回が初めてではなくて、十五年前の判例になったのもありますけれども、それ以前でも高速道路とかいろんなところである、結構、走っていて追突するような危険ではなくて、停止をしていてやっているというのは、これ一連のやっぱり行動のように見えて、検察側が言っているような形に二条四号を捉えるのが正解なんじゃないかなというのは思っていたんですね、横浜のあおり見て。
 だから、判決として、まあ検察側はそういうことを解釈したとしても、裁判所側はその辺りをどこまで、やっぱり法の改正が必要だというようなことをちょっと暗示でも何かあったんでしょうかということで、申し訳ないんですけれども、そこら辺はどのように捉えていらっしゃいますでしょうか。
○参考人(今井猛嘉君) なかなかお答えするのが難しいのですが、東名高速の第一審横浜地裁は、先ほど他の先生からの御紹介もありましたけれども、その事前の四回の暴行等が一連一体の行為と見て、その直後に停止もあったことを踏まえ、最後に停止は外すんですけれども、一連一体の行為から結果が惹起されたというふうな言い方をしていたかと思います。そこも問題を含んでいるのですけれども、一連一体の行為というときには、被疑者、被告人としてはどこを防御すればいいのか不明確になりますので、そもそも訴因が不明確ではないかという問題もありますけれども、裁判所あるいは裁判員の方々の直感としては事態を把握しているんだと思います。また、量刑の面ではとても生きてくるものだと思います。
 しかし、先生も御指摘、御質問の趣旨だと思うんですけれども、そうはいっても、今回のようにやはり停止によって事故が誘発されたと言い得るような場合に、それ以前のことをまとめて見たとしても結果の因果の起点をくくり出すことはできないので、だからこそ、そういうことを明確に文言化するために五号、六号ができたのではないかと思っております。
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 松原参考人にお聞きしたいと思います。
 今のものも関連するかと思うんですけれども、罪刑法定主義の成り立ちを随分書かれていましたので、非常に勉強になりました、歴史的なバックもあるんですけれども。先生がよく書かれている中で、この罪刑法定主義の現代的意義というようなことでいいますと、やっぱり国家権力から、あらぬ、と言ったら変ですけれども、制裁を加えるということに対して、やっぱり法できちんと定められていないといけないというのが横行していた時代というのもありますし、現在でもそういうのはあると思いますが、そういった意味で、この現代的意義ということについて書かれているのをもう少し詳しくというか、ちょっと解説していただけると有り難いと思います。
○参考人(松原芳博君) 罪刑法定主義の確立期には、これ絶対王政の時代でしたから、国王からの国民の自由という形、自由を守るという形で出てきました。しかし、民主主義国家になってくると、権力を握っているのは最終的には国民大衆ということになる。とすると、現在の罪刑法定主義は国民大衆から国民個人を守るという機能も持たなければならないんじゃないのか。
 その意味では、民意がこうだから罪刑法定主義はないがしろにしていいだろうというのは成り立たないのであって、やはり民意はこうであっても、取りあえず法律はこうなんだから、本当にそれ罰する必要があるんだったら、議会で熟議してきちんと作って、次から適用しましょうというのを現代ではやっていかないと、要するに国民は善であるというだけでいってしまったのでは歯止めが利かなくなるよという考えでございます。
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 やはり立法による改正というものが現代的な意味においても罪刑法定主義の基本だということで、非常にそういう意味では立法府の方にこの問題をきちんと捉えてほしいという、お二方の御意見、よく通じました。
 危険運転致死罪の適用をめぐって、先生の論考の中に、この適用をめぐって罪刑法定主義に反する疑いというような言葉があったんですけれども、申し訳ないんですが、この疑いというのは、罪刑法定主義に反するという言い方じゃなくて、ちょっとファジーになっているんですけれども、その辺りは先生のどういった意図でやったんでしょうか。
○参考人(松原芳博君) 直前停止行為を正面から実行行為と呼んでいるとすれば、それは罪刑法定主義違反と断じていいと思います。ただし、横浜地裁は、そうではなく、先行する四回の妨害運転が実行行為としつつ、裏から直前停止行為を実行行為に引き入れているので、その論法を評して疑いという表現を使いました。
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 やっぱり罪刑法定主義ということを考えると、裏からというのは、そういった意味で直接的ではないということですね。
○参考人(松原芳博君) 言わば潜脱行為というニュアンスで使いました。
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 それでは、柳原参考人にお伺いしたいと思うんですけれども、ずっと取材をされている中で、こういった被害者の心理とかいろいろなものを含めて、今回危険運転致死傷罪が問題になるという場面じゃないかというのがいろいろ書かれていたんですけれども、それが同じ、例えば業務上過失の問題で、いろんなほかの罪も含めて加重されていくというんですかね、そういう形で、結果として大体同じぐらいになった場合に、罰の方、刑罰の方が、それはやっぱり危険運転致死傷罪の方でやるべきということに関心が行くというんでしょうか。その辺りの要望とか希望というのは、危険運転致死傷罪という名前だからこそ重要なんだと、それを適用するのがですね。だから、衝撃的なタイトルが、「宝の持ち腐れ」というのがありましたけれども、その辺りのちょっとお話をいただけたらと思います。
○参考人(柳原三佳君) 「宝の持ち腐れ」という記事は、今から十八年前、二〇〇二年の記事ではあるんですけれども、危険運転というところに被害者遺族がこだわるというところ、ここに関しては、危険運転というのは故意という部分が入ってきますけれども、例えば飲酒をしてハンドルを握る、覚醒剤を使ってハンドルを握る、その時点でもう既に、非常に法律で禁止されている危険な行為をしてハンドルを握るというのは、もうその時点で危険運転、故意であるということはもう明らかだと思うので、やはりそういう、本来彼らが法律を守ってやっていれば起こらなかったであろう事故ということを考えると、そういう事故の被害に遭った御遺族や被害者からしてみれば、これを危険運転と言わずしてどうするんだということだと思うんですね。
 そこをきっちりやっていかないと、例えば、お酒は飲んでいたけれども、ちゃんと片足で六秒立てましたとか、だから危険運転ではないとか、後でもうそういうふうなことがいっぱい出てくるわけですけれども、そうではないでしょうと、もう既に飲んで運転した時点で危険運転でしょうというところを、やっぱりはっきりとその罪で罰してほしいという、そういう思いが強いと思います。
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 危険運転という形で、やっぱり今回改正によって追加を、五号、六号入ってきますけれども、例えばその範疇に入らないというようなことが考えられるので五号、六号が次改正されるので、それについては賛成だということでお三方おっしゃっていますけれども、この五号、六号が改正されないと、ある事件について、特定の事件について、これは危険運転では処罰されないと、別のものになるかもしれないとか、そういうようなことについて、今回の改正でやっぱり遺族的な意味でも救済されるというような形、要するに、今後の事件しかこれはならないかもしれないということですよね。この改正があってから初めて適用されるということになると、それ以前のものについてどのようなお考え、やっぱり同じような感じでしょうか。義憤の、義憤じゃなくて、その改正についてどのような視点を持っていらっしゃるかと。
○参考人(柳原三佳君) ちょっとお答えがちゃんと正確にできるかどうか分からないんですけれども、今回の東名高速のような事件は、もうあれは故意でやっていますので、どっちかというともう交通事故から懸け離れた傷害事件みたいな部分で、交通事故の被害者や御遺族もそういう視点で見ている方は多いと思うんですよね。あれが過失とか危険運転とかという、もうそういうレベルではなくて、あの事件に関してはね。
 ごめんなさい、その五号、六号の問題というのがそこまで詳しく皆さんの御意見を聞いているわけではないんですけれども、そこの部分は、もうああいう一連の行為そのものがもう運転を通り越えた犯罪行為というイメージが非常に皆さん強く感じているところだと思いますけれども。
○高良鉄美君 済みません、質問の仕方がちょっとまずくて。
 私は、確かに罪刑法定主義からいうとこういう考えは問題があるかもしれませんけれども、この二条四号の生かし方というんですか、元々の危険運転ということからする範疇を、しっかりと危険運転というのは何かというところで縛っていくのが重要かなと思っていたわけです。
 ですから、そうじゃないと、いろいろこの法改正は結構、これも外れてきた、これも外れてきたということで、永遠にこの立法的解決をやっていかないといけないんじゃないかなというのがあって、そういう意味では、横浜地裁の場合のあの事件でも、検察官側は、この一連といったときの危険性をやっぱり停止を入れて考えるということの方が私は自然かなと思ったんですね、まあ罪刑法定主義は別にしてですね。
 そういったところとのバランスを考えるとどうかなということで、ちょっとお三方に簡単に、まあ簡単にとはいかないかもしれないですけれども。
○委員長(竹谷とし子君) 高良鉄美君、お時間が、お三人に御質問すると。
○高良鉄美君 じゃ、今井先生、それから松原先生お願いできますか。
○参考人(今井猛嘉君) 御趣旨はよく分かります。
 危険運転という概念をもう少し広く取ることにより、危険な運転により最後に停止したところまでも読み込むというのが言葉の解釈としてできないかと言われると、例えば民事法の解釈等ではできると思います。しかし、どの行為が処罰の対象であるかを明確にしないといけない刑事裁判では、やはり無理な解釈ではないかと思います。
○参考人(松原芳博君) 一連の行為という実行行為の捉え方が一般論としてはあり得るところですが、現行四号が走行速度に危険速度という要件を入れている以上、一連の行為から停止の部分はやはり除外せざるを得ない、それを除外しなければこの四号を立法したときの趣旨が逸脱されてしまうと私は考えます。
○高良鉄美君 ありがとうございました。大変参考になりました。